1998-05-15 第142回国会 参議院 地方行政・警察委員会 第15号
○有働正治君 これは部隊ぐるみの会員集めを依頼した、これについては大体認められたわけでありますけれども、実行されたかどうかについては断ったという理由でありますけれども、私は、ここに「軍事民論」ということし四月三日号を持参しています。小冊子であります。この毎日の新聞報道に関しまして現職の自衛官の幹部からの投稿がここに紹介されているわけであります。
○有働正治君 これは部隊ぐるみの会員集めを依頼した、これについては大体認められたわけでありますけれども、実行されたかどうかについては断ったという理由でありますけれども、私は、ここに「軍事民論」ということし四月三日号を持参しています。小冊子であります。この毎日の新聞報道に関しまして現職の自衛官の幹部からの投稿がここに紹介されているわけであります。
例えば、民論社社長の畑時夫さん、あるいは長崎市長を襲った正気塾の塾長若島征四郎さんなどが名誉顧問あるいは平顧問でこれに名前を連ねておる。 ところで、これをどうして竹下さんはほっておかれるのですか。なぜほっておかれるのでしょうか。知っていても抗議したり取り消しを要求することができない、抜き差しのならない理由が竹下さんの方にあるんじゃないですか。これはことしだけじゃないのですよ。
第二に、自民党の内部でいろいろなお考えがあることはこれは当然でありまして、政党でございますから民論を反映していろいろ御議論がなされるのが民主主議であるだろうと思っております。しかし、自民党は最終的には固まって一つの政策に向かってばく進してきていることはいままでの諸般の政策をごらんになればおわかりになることで、この行革につきましても、最終的には党並びに内閣が一致して断行していくと考えております。
ところで、そのためには押しつけの、そして天下り式の復帰ではなく、沖繩県民の民意、民論を最大に尊重する復帰でなくてはならないと思います。沖繩県民は、再び差別につながる琉球処分を最もおそれておるのであります。このような形での沖繩返還を最もおそれており、きらっておるのであります。
そこで、政治的に問題が起こるのは、どういう形であろうが、やはりアメリカのいまの北鮮とのけわしい対立状態から、この間の偵察機の撃墜事件があり、それは絶対に領海、領空を侵してないという立場で、民論の手前もあるし、いろいろの関係から、いま護衛つきで、大規模な護衛艦隊を出して、そうして空からの護衛をやっている。
人によっては、沖繩の基地の使用状態いかんによっては、沖繩の本土並みでなくて、本土全体が返る前のアメリカの施政権下にある沖繩並みになるのではないか、あるいはそういうふうな伏線があって政府が言っているのではないか、こういうような見方もあるようでありますが、私はあえて、国民の希望は核抜き、本土並みである、言うなれば、民社党が二年前から言っていた方向に、総理もやはり民論に従うということにきたのだろう、いまからでもおそくないという
元来、ローマでもギリシャでも昔は最高裁判所的なものは民論の興起というものと非常に関係がある。民衆の意思の興起、いまの国会的なものとも関係があったわけであります。そのころは元老院という名前で呼ばれておって、多くの民衆の不満を吸収し、同時に重大犯罪はこれをさばくという役割りをやっておった。
だから、私は、ほんとうに民論を反映せしめなさい、いまや民論はかくのごとくに成熟しておる、これを言っておるのでございます。どうかその点について誤解のないように。いつまでも白紙だ白紙だと言われておるけれども、もう交渉を始めなければならない。現に下田君はやっておるじゃございませんか。いろいろと瀬踏みをやっておるじゃございませんか。
まあそこまでまだきているわけじゃないのですから、私が慎重な態度であることはむしろほめていただく、かように私は——ひとつ民論を十分尊重しろ、こういうことで御鞭撻をいただくのかと思ったらそうじゃなかったので、残念ながら私、立ち上がったような次第であります。
ただしかし民論と申しますか、世界の世論、あるいは博覧会を運営される皆さんの高次な統一主題、人類の進歩と調和というその大きなテーマに基づくところの運営をしようとする場合、必要条件として、また将来の歴史に残るさん然とした輝いた成果をもたらすためにも、これはどうしてもしなければならぬのだという皆さん方の意欲的なものが出てこなければいけないんじゃないかと思います。
特に今回の朴議長の大統領出馬を断念する場合の条件としても、特に第九項が加わって各政党が日韓正常化について協力するという基本の線を受諾しておるところから見ましても、今御指摘のように、韓国の民論が日韓交渉について反対であるというように新しく展開をしたというようには判断いたしておりません。
だがしかし、やはり外務大臣の話を今伺っておると、内政干渉でないけれども、韓国の各政党が民論、世論を組織し、いわば受け入れ態勢、簡単に言えば、民政移管後の受け入れ態勢ということをきめ、しかも、その上に立って民意に即していわゆる合理的な内容、つまり一括解決、受け入れ態勢と一括解決ということができるのを実は期待しておる。
確かに民論も起こってくることは、今の独裁政権よりも、日本に対しても譲りにくい点はあるでしょうけれども、しかし、それは日韓両国の大局から見るならば、やはり民意に即応したバック・アップということなしに協定を作るということは、これは砂上の楼閣であるということを考えなければならぬ。
○森元治郎君 私は、今回朴政権があのままの軍事政権を維持できなくなってきたのは、やはり民論の反対に服したのだ、こういうふうに私たちは判断をしますし、実際の動きもそうでありまするから、依然として面子上、今までやってきた交渉の相手に対しての批判を避けるのあまり、朴政権となお会談を紡げるということは間違いである、これは勝間田君も衆議院で総理に尋ねておりましたが、軍事政権、民衆の反対する軍事政権へのてこ入れである
そこでは国民の軍事政権に対する反対、その内外政治の失政はもちろん、力による暗いスパイ政治のような軍事独裁政権に対する反対という民衆の気持、民論、これに屈服したのが、今回の朴政権の、どだい崩れかかろうとする実態だろうと思うのです。この点いかがですか。
本案に反対する声はすでに国論、民論とでも申すべき状態に、各方面に上りつつあるということにかんがみまして、政府みずからの手をもってこれを撤回するか、さらにこれをどうするかを考え直すの要があると思うのであります。
○受田委員 少くとも新聞は公正に民論を喚起する重責にある機関であります。この新聞が誤まりを犯した報道をしばしば繰り返すということはあり得ないとわれわれは思う。従って大臣の発言が、どこかでそういう批判を受けるようなところに触れていたということは、これはもう大体において認められるところなのです。
これは外務省所管の問題にも関連することでございますが、私がこれをお聞きするわけは、やはり民論をもっと高揚する何らかの方途が必要でないかと思うからでございます。 それから、次に援護関係の問題でございますが、恩給、弔慰金等の支給の未解決件数は現在どれくらいあるかということ。もし相当数の未解決があるとすれば、その未解決の一番の原因はどういう点にあるのか。
それから引き揚げ促進の民論の高揚の点でございますが、これはお説の通りでございまして、今までの交渉の途中におきましても、松本全権から、留守家族からの署名の嘆願書とか、あるいは促進運動の決議とか、あるいは引き揚げ促進大会の写真、そういうようなものをみなマリクに見せまして、こういう状態で、日本国民の世論がぜひこれを促進せいということで来ておるということをしばしば説明しておられるようでございます。
従って、こういうような問題について、何ら顧慮をしておらなかったということではなくして、そういう問題も、ひとり厚生大臣だけの意見ではなしに、日本の各知識層、ことに大内教授のごとき、社会保障制度の権威者であると同時に、統計調査の第一人者が、社会保障制度審議会の委員長をやっておられます関係で、むしろそういう問題に対する勧告なり、あるいは民論の喚起ということについて——井堀委員も非常にこの点は御研究のようでありますから
民間におきましては、日本関税協会の村田省蔵氏は、御承知のように、この問題に関連いたしまして、ニューヨーク・タイムズに寄稿いたしまして、アメリカの関税引き上げ阻止、片貿易是正という問題をひっさげてアメリカの民論に訴えておられる。今日の日本の貿易は非常な入超になっております。これを是正しなければ日本の経済の復興はない。それについては貿易で一番大きな部分を占めるのはアメリカである。
(拍手) なお、朝に立つては文部大臣となり、司法大臣となり、推されては東京市長ともなり、また、野に下つては常に民論指導の地位にあつて、ときには藩閥官と闘い、あるいは軍閥権勢に抗し、もつてわが国の民主主義政党政治の基礎を築く使命を果し、憲政の擬護者として一世の讃仰を得たのであります。 君は、清廉孤高、清貧に甘んじ、名利を求めない政治家として知られているのであります。
私は申し上げたいことは、あなた方がほんとうに地方財政の貧富の不均衡を調整したいというのならば、このはげしい民論に抗して入場税を国管にするというようなあざとい措置をおとりにならなくても、入場税というようなものは現行と何ら関係なく、ただこのタバコ消費税八十何億の調整だけで十分にその措置は講じ得る、その目的は達し得ると思うのでありますが、これに対してその措置をあえて講ずることなく、二段、三段のこの複雑怪奇
そこに民論の制約というものがありまして、国民はそれを読んで、やはり警察というのはおれたちが関与している、おれたちがしかつたり、ほめたりする余地がある、こう思うところが、かたい言葉で言う民主的理念の保障ということになるのではないかと思います。